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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1555号 判決 1986年2月19日

控訴人

重田建設株式会社

代表者代表取締役

重田和十郎

右訴訟代理人弁護士

中村雅男

被控訴人

株式会社太陽神戸銀行

代表者代表取締役

前澤一夫

右訴訟代理人弁護士

高橋龍彦

主文

一  原判決第一項を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人に対し金一一万円及びこれに対する昭和五三年一〇月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その九を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

三  この判決は第一項1に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和五三年一〇月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却

第二  当事者の主張及び証拠

原判決事実摘示及び当審証拠目録記載のとおりである。

ただし、次のように付加訂正する。

1  請求原因4項一行目(原判決三枚目表四行目)中、「被告は、」の次に「業務上相当の注意をもつて本件手形の外観を調査すれば、前記変造のなされた事実を容易に知ることができたのにこれを怠り、」を加える。

2  請求原因に対する認否1項三行目(原判決五枚目表二行目)「認める。」の次に、「なお、手形の満期が当初昭和五二年一〇月三〇日と記載されていたことは不知。」を、同2項(同五枚目表三行目「不知。」の次に「ただし、変造であることは否認する。」をそれぞれ加える。

3  抗弁1項の三行(原判決五枚目表六行目から八行目まで)を請求原因に対する認否4項の末行の次に加える。

4  被控訴人の「抗弁3」に続き、原判決六枚目表七行目の次に左のとおり付加する。

「仮に、訴外斉藤の代理権に、本件約束手形の満期日の訂正が含まれていなかつたとしても、右訂正行為の後に本件手形を取得した被裏書人並びに被控訴人は、裏書の連続のある以上、訴外斉藤に代理権ありと信ずべき正当の理由があつたものというべきであるから、控訴人はこの点からしても本件手形の無効を主張することはできない。」

5  被控訴人の「抗弁4」のうち、原判決六枚目表九行目の「被告に対し、」の次に「右手形金額と同額面の小切手を提出し交付し、」を、同一一行目の「意思表示をした。」の次に「また、右小切手による手形金支払の承認は、形式上不備の手形についての支払承諾意思を確認する商慣習でもあり、これにより被控訴人は本件手形金支払に関する責任を免除されたものである。」をそれぞれ付加する。

6  抗弁2、3、4をそれぞれ1、2、3と訂正し、抗弁4として次のとおり加える。

「(一) 本件約束手形の満期の誤記は、控訴人の過失に基づくものであり、(二) 控訴人は、右のような形式不備の手形を所持している者が判つているのに、これを回収する努力をしなかつたばかりでなく、(三) 右手形が交換呈示されても支払わないで欲しいとの希望を被控訴人に全く告げなかつたこと等からすれば、仮りに控訴人に損害があつたとしても、これは控訴人が自ら招いたものというべきである。」

7  抗弁に対する認否に、「抗弁4のうち、(一)、(三)を認め、(二)は明らかに争わないが、損害の生じていないとの点は争う。」を加える。

理由

一控訴人が本件約束手形を振出したこと、右振出に際し、過失により支払期日の表示を「昭和五二年一〇月三〇日」と記載したこと、その後、右記載が何者かにより「昭和五三年一〇月三〇日」と改ざんされたこと、被控訴人が右改ざんに気づかないまま右約束手形金の支払をなしたこと等の事実については、原判決理由説示(同判決六枚目裏六行目から七枚目裏一行目まで)と同じであるからここに引用する(ただし、同六枚目裏九行目の「原告代表者本人尋問の結果」の次に「原審及び当審)」を加える)。

ところで、本件手形のように、支払期日(満期日)が現実に振出された日よりも過去の日付に記載されているような手形は、当該手形の呈示及び支払を不可能ならしめるものであるから無効と解するほかなく、さらに、約束手形の支払期日が変造された場合においては、振出人は原文言(変造前の文言)にしたがつて責を負うにとどまるものであることからすれば、控訴人は、本件約束手形につき支払義務はないといわざるをえないのである。

しかるに、被控訴人は、控訴人との間に当座勘定取引契約を締結していた(この点につき当事者間に争いがない。)のであるから請求原因3記載の注意義務があるのであり、前記のとおり、本件手形の改ざんに気づかないで本件約束手形金を支払つたことは、右契約上の委任事務遂行上、業務上相当の注意を払つて熟視するのを怠つたというべく、結局善管注意義務に違背があつたものというべきであり、(最判昭四二(オ)六四号事件、四六年六月一〇日言渡集二五・四・四九二参照)これによつて生じた手形金相当額の当座勘定における支払資金の減少という損害を蒙らしめたのであるから、右損害を控訴人に賠償すべき義務がある。

なお、仮に右金員引落し当時、控訴人が手形所持人又はその前者等の第三者との関係において、右手形金相当額の金員を支払うべき債務を負担していたとしても、控訴人は、被控訴人の債務不履行によつて控訴人の当座勘定より本件手形額面額が引落されたこと自体により右金員相当の損害を被つたものと解すべきである。なんとなれば、無効な手形の支払は右債務の有効な弁済となるものではないから、右債務は消滅することはなく、従つて、右債務が消滅することを前提として控訴人がそれだけの利得を受けそれにより損害が補填されたとすることはできないからである。又、無効な手形の支払は法律上の原因を欠くものであるから、控訴人は支払を受けた者に対して不当利得返還請求権を有することになるが、そのことにより、控訴人が現に被つている手形金相当額の損害について影響を受けるものではないというべきである。

二そこで、被控訴人の各抗弁を検討する。

1  抗弁1について。

<証拠>によれば、被控訴人主張の趣旨の免責約款の記載のあることが認められる。しかしながら、右約款は、銀行において必要な注意義務を尽して変造の有無を点検するべきことを前提とするものであつて、右の注意義務を尽くさなかつたため銀行側に過失があるとされるときは、当該約款を援用することは許されない趣旨と解するのが相当である(前掲最判参照)。そして、被控訴人において右の注意義務を尽したものと認められないことは前項において判示したとおりであるから、被控訴人の免責の主張は採用することができない。

2  抗弁2について

控訴人が本件手形の満期日を記載するについて過失のあつたことは前示認定のとおりであるところ、右過失を損害賠償額の算定にあたり、どのように斟酌すべきかについては、後記のとおり考慮に値する事項ではあつても、本件手形の無効を主張すること自体がいわゆる禁反言の原則により制約を受けるべきであろうと解することは相当ではない。

また、表見代理の主張については、被控訴人は本件手形の支払当時代理行為に当たる本件手形の改ざんのなされたことを知らず、従つて又右改ざんが何人によつて為されたかも知らなかつたのであるから、右主張はそれ自体失当というべきである。

3  抗弁3について

控訴人が被控訴人に対し、本件手形金支払に関する責任を免除する意思表示をしたこと並びに、被控訴人主張の小切手の振出が形式上不備の手形について支払意思を確認し以て金融機関としての被控訴人の右手形金支払に関する責任を免除するとの商慣習が存在すると認めるに足る証拠はない。

なるほど、<証拠>によれば、控訴人が昭和五三年一〇月三〇日被控訴人に対し本件手形を受けとるのと引換えに右手形金額と同額面の小切手を振出し交付したことを認めることができるが、右小切手は、被控訴人が控訴人に支払済みの本件手形を返還したことを証する証拠として本件手形と引換えに交付されたにとどまり、右交付によつて、直ちに被控訴人の本件手形金の支払に関する責任を免除する趣旨までも含むものとは解することはできない。

<証拠>も被控訴人の前記各主張を認めるに足りない。

4  抗弁4について

前示認定のとおり、被控訴人との間に当座勘定取引契約を締結した控訴人としては、右約旨にかんがみ、信義則上、先ず手形の振出に際して被控訴人が右手形金の支払(控訴人の当座預金口座からの金員の引落し)を支障なく行ないうるよう協力すべき義務、換言すれば、手形の文言記載につき疑義を生ずることのないように注意を払うこと、或いは、過つて形式上の不備な手形を振出したような場合には、なるべく速やかに被控訴人にその旨連絡し、善処を依頼し、未然に紛争ないし損害発生を防止すべき義務があるものと解するのが相当である。

ところで、控訴人が本件手形を振出すにあたり過失により満期日欄に振出日より過去の日付を記載したことは、当事者間に争いがないところ、右過失は商人として重過失に当るものと解されるばかりでなく、<証拠>によれば、

(一)  控訴人は、昭和五三年四月一九日本件手形を振出し、これを訴外斉藤春吉に交付したところ、右翌日右斉藤から同手形の満期日に誤記があり、訂正するようにとの電話連絡をうけ、振出後早々に本件手形が不備のものであることを了知していたこと

(二)  控訴人は、本件手形を振出した当日、これとは別に額面金額五〇万円及び四〇万円の手形二通を振出したが、右両手形についても誤つて満期日の記載を振出日より過去の日付にしていたのであるが、これらについては、いずれも被控訴人側において早期にその不備なることが発見され、控訴人において無事にこれらの手形を回収していたことがあること

(三)  こうしたことがあつたため、控訴人は本件手形のなりゆきに不安を感じ、同年一〇月二八日ごろ、前記斉藤に対し、本件手形を第三者に交付したかどうか確認の連絡をとつたところ、同人からまだ誰にも交付していない旨の返事を得たのでこれを信用していたこと(右以外に、控訴人が本件手形を所持人から回収する努力をしなかつたことについては当事者間に争いがない。)

(四)  ところが、控訴人代表者が同年一〇月三〇日午後三時半ころ、被控訴人巣鴨支店に対し、当座預金口座の残高照会をしたところ、同日本件手形金一一〇万円が決済されているとの報告を受けたので、右手形が変造されたものであるにつき善処方を申入れたが、すでに交換呈示による決済後であつたため話合いはまとまらなかつたこと(右交換呈示がなされるまでの間に控訴人が被控訴人に対し手形金支払に関し何ら善処方の申入れをしていなかつたことについては当事者間に争いがない。)等の事実を認めることができるのである。

右事実によれば、控訴人は本件手形を振出した翌日、すでに手形が不備であることを了知していたのであるから、右手形による決済を欲しないならば、直ちに被控訴人側に連絡して、所定の手続を履践し、不測の損害発生を未然に防止すべき前記契約上の義務があつたものというべく、かつ、右のような措置をとることは極めて容易であつたことが窺知しうるのである。

従つて、本件変造手形の決済によつて生じた損害の発生は、直接的には前示認定のとおり被控訴人側の過失によるものではあるが、主としては、右のような決済を回避できるのにもかかわらず、控訴人側の前記のような契約上の義務懈怠によるものであることは否定できないというべきであり、以上を総合すれば、その過失の割合は、控訴人が九、被控訴人が一とするのが相当というべきである。

よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件手形金相当の損害額金一一〇万円の一割である一一万円及びこれに対する損害発生日の翌日である昭和五三年一〇月三一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

三以上の次第で、控訴人の本訴請求は前記の限度で認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、右結論と異なる原判決は右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官武藤春光 裁判官菅本宣太郎 裁判官山下 薫)

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